今更感じる、大学生にしかできなかったこと
この季節、そう感じるのはフジロック。
大学生のときはテスト期間で単位やら捨てれない、お金もないし、行きたいけど、行けない!という状態だったけど、今となってはお金はあっても時間は無いし、それよりなにより、フジロックに行けるくらいの熱量みたいなもの、若い時にあるなんかよくわからない熱い気持ちみたいなんがもう、無くなってしまった。
行こうと思えば何なりと行けそうなもんだ。
でも、心揺さぶられるほどのロックな心、炎天下の中、もみくちゃにされるほどの気合いというか、熱量というか、そういうものが30半ばの私には消えてしまった。
まあ、行けばそれなりにおもしろいんでしょうけど。フジロックの情報がタイムラインに流れるたびにどこか寂しい気持ちになっちゃうのでその気持ちを記録しておく。
ワーキングママが保育所選びで大切にしたいこと
こんばんは、ハギメシです。
保育所見学を1箇所でいいや、と思っていたのも束の間、1日で他3箇所の見学予約を入れました。
先輩方のお話を聞いていて、私なりに大切にしたいこと、それは
家からの近さです。
みんなそうなんじゃないのかと思っていたんですが、保育園の先生に聞くとやはりご家庭によって違うそうで。
どういう教育してるのかとか、先生が何人つくのかとか、子どもは何人いるのか、校庭が広いのかとか狭いのかとか、給食や弁当はどうなのか、とかどれも色々気になるところですが、私は何と言っても家からの近さを取りたい。
なので、
第一希望:家から徒歩5分 認定子ども園(6枠しかないこと判明)
第二希望:家から徒歩3分 小規模多機能保育園
第三希望:隣駅 駅から3分 認定保育園
第四希望:隣駅 駅から3分 新規開設保育園(できればあまり入れたくない。その理由はまた別途)
先輩に聞いたところ、先輩は「教育方針」を大切にして、自宅から自転車で20分の保育園にしたところ、やっぱり毎朝大変。雨の降る日、熱発になった時。
はじめのうちは旦那さんが朝自転車で送っていき、帰りは先輩がお迎えをしていたところ、半年で旦那さんが単身赴任することになり、朝夕、先輩が自転車でお迎えをすることに。しかも、自宅から会社は電車通勤のため、子どもを自転車で送って一度自転車を自宅に置いてから電車通勤という、もう聞いているだけで過酷。
上記の希望には入れていないのですが、本当は、徒歩30分、駅と駅の間くらいのところにある公立の保育園を第一希望にしたかった。でも朝の30分ってとっても貴重。
同じマンションに住んでいた西隣のお隣さんは、そこの公立保育園に行っていたので、毎朝、お母さんかお父さんがベビーカーを押して猛ダッシュで30分。
妊娠前の私は「毎朝大変そうだなぁ」とみていたわけですが、自分がその立場になって考えただけで無理無理無理となっています。(ちなみに西隣の方は保育園に近いところに引越しされました。。。)
通勤とお迎え、無理ないようにすること。途中で音を上げることはできないので、落ちてしまった時はその時はその時で考えようと。
早速、保育園の見学に行ってきた。
こんばんは、ハギメシです。あっというまに1週間が経過していました。
この1週間はまたいろいろありまして、本日は、来年度入園の保育園の見学に行ってきました。
家から一番近くにある認定子ども園Aで、私的に本命です。お話を聞く限り教育方針もとってもよかったです。
が!
行って知りました。
来年度の1歳児募集枠は6人とのこと・・・。正確にいうと12人なのですが、0歳児から6人上がってくるので、実質6人の募集になるとのこと・・・。
まったく受かる気しない・・・。今日だけでも既に3人のお子さんたちが見学にきていたのに・・。
本当は、その認定保育園だけを受けるつもりでしたが、全くもって全然ダメだという現実に直面し、8月はいろいろと見学に行ってみようと思っています。
ちなみに応募は10月なのに、結果がわかるのが来年の2月・・・
その半年近い間ずっと「うちの子、受かったんだろうか、それとも?」っていうモヤモヤ感を抱かないといけないっていうのもちょっとしんどいなと。
ぼちぼち保育園については更新していきたいと思います。
【読了】一汁一菜でよいという提案
先日からレビューしたいと思っていたものの、できなかった本。
一汁一菜でよいという提案。
この本、好き。大事にして何度も読みたい本です。
土井さんの食に対する美学が詰め込まれています。
特に印象に残っているのは、
どんなに下手でも料理を通じて、家族、子どもは愛情を受け取っているということ。
手の込んだ料理でなくても、毎日料理を作ることが、家族や子供に愛情が伝わるプロセスであるということが書かれていました。
毎日の味や、形態(見た目の美しさ、歪さ)などで、作り手のコンディションを無意識ながら察しているのです、という文を読んであーなるほど、と。
うちのばーちゃんもお母さんも、どんなに忙しくても、簡単なご飯でも毎日3食作ってくれていたなぁと。それが家族の健康を何十年も支えていたんだと思います。
だから私も、なるだけご飯を作るようにしたい。(あ、もちろん手抜きも含めてです)
私は一汁一菜でやっていける自信があるのですが、旦那さんは肉食べたい盛り、いろいろ食べたい盛りなので、難しいものです(汗)
日本には四季折々の食材、その時期にしか食べれない食材も多くあるので、できるだけ食卓を通して季節を感じたいものです。
イタイ自分に、案外気づかないもんだったりする。
デザイナー、高木新平さんのブログを拝見して。
30歳って人生の区切りだった歳、というより何かに気づく歳だった気がする。
奥様のおっしゃる「アングラトンチンカン」という言葉に妙に共鳴できちゃうというか。誰かがイタイ自分を指摘してくれるか、イタイ自分に気づくことがないと、イタイ自分を30代にまで引きずってしまうことになる。
引きずることは別に悪いことだとは思わないのだけれども、「イタイ自分を客観視できていない」ことが何よりイタイ。
自分で気づくきっかけなんて、案外ちょっとしたことだったりする。
私も30歳くらいの時までサブカルチャーが好きだったり、割とマイノリティな考え方だったりで、そして「やってみたい仕事」を優先してきた。(だから貧乏でも耐えに耐えられたのかもしれない。)
そのせいで同じ年代の友達と話をしていてもちょっとしたズレみたいなのは感じてはいたけれども、自分が「これで良かれ」と思っていたのであまり気にはしていなかった。
でもある時、本当にある時、イタイ自分に気がついてしまった。
もう、貧乏が嫌だったっていうのと、30すぎてこんな生活もどうかと思っていたことに色々直面する出来事があって。31歳の年末に退職して、地元に戻った。
次の春、今までの人生の中で一番規模の大きな会社に入ったら、これまで「とらわれていた何か」みたいなものがスカッと、信じられないくらいあっさりと取れた。一般的っていうのが何かわからなかったものの、コミュニケーションをしているうちに「ああ、これが普通だ」「これが普通の感覚なのかもしれない」みたいな、多分これが一般的なんだろうなというようなことがわかり始めその隙間みたいなものが埋まり始めた。
話は戻って。
高木さんのように奥様や、もしくは他人から「あんたの考え方や行い、おかしいで!」って指摘されてハッとする場合(その場合はある意味幸せなことかもしれない)、自分でハッとして気づく場合がある。
マイノリティって悪いことじゃないんだけれども、考え方や行いにも年相応があるんだよな、多分。
自分の年齢を、考え方を、行動を客観的に捉えるのが難しいのだけれども。
今は30歳までのイタイ自分から少しは脱出できたんじゃないかと思っている。
日々精進。